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NPOおばあちゃんの知恵袋の会は我が国に伝わる健康の知恵や暮らしの知恵を、次世代へと伝えていく特定非営利活動法人です。

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著名人が語るおばあちゃんの知恵袋

第5回 山本文郎さん(フリーアナウンサー)

 「女房の死で、つくづく健康の大切さを知らされましたね」


41歳で高血糖

 よく「一病息災」といわれる。病気をひとつくらい抱えていた方が、体にも気を使 うからかえって健康を維持できるというわけだ。
 元TBSアナウンサーで、現在はフリーで活躍している山本さんも、まさしくこの 「一病息災」組の一人だといって良いだろう。


山本さん:「41歳の時、会社の定期検診で血糖値が230もありましてね。当時は、月ー金の夕方6時から『テレポートTBS6』というローカルニュース番組をやっていて大変忙しかったのですが、とにかく血糖値を下げなくてはいけない。医者から云われた1日1400キロカロリーを厳守して、68キロあった体重を3ケ月で60キロに落としました」

 と山本さんは語る。その後も気を緩めず、深夜勤務を除いて夜8時半以降は食事をとらず過食もさけて、現在の体重は57キロ。

山本さん: 「それでも糖尿病には完治はありませんから。今でも、毎日、血糖測定機で計りつつ、自己管理をしています。最近は、調子がいいと95−105と安定してますが、ちょっと飲みすぎたりすると、まだ160−180になりますね。でも200を超えることはなくなりました」

 その山本さんが、健康の尊さをつくづく感じたのが7年前、34年連れ添った奥さんに先立たれた時だと云う。
 それは、山本さんの誕生日、12月23日の夕刻のことだった。それまで医者知らずだった奥さんが、その日のご馳走を作っている最中に突然倒れたのだ。丁度休日で家にいた息子さんが救急車を呼び、山本さんは電話連絡で直接病院に駆けつけたが、診察の結果は脳梗塞。それも、脳の視床部が梗塞を起しており、手術すらできない状態だった。


山本さん: 「『私、貴方に何をしてあげたらいいの?』これが意識が無くなる前に云った女房の最後の言葉でした」

 それから8日後の、元旦、奥さんはこの世を去った。

山本さん: 「女房にも先立たれて、子供も独立して、もう後は自分の始末だけですから。ぶっ倒れても困らない程度の金は残して、後はキレイにつかっちゃおうと思っています」

 そんな山本さんが、子供時代からずっと凝っていた趣味は釣り。
 東京は小石川植物園の裏で、開業医をしていたお父さんが大の釣りキチ。小学校の頃から、ズル休みのスリルを味わいつつ、お父さんに連れられ釣りをして回っていた。、品川、大森、船橋、市川あたりから船を出していたという。


山本さん: 「それで目黒に祖母がいまして、『寒い時には、上着の下に新聞紙一枚で背中を包むと温かくなるよ』と教えてもらったのです。だから、今でも、釣りやゴルフに行って寒いと、新聞紙を上着と下着の間に入れるんです。本当に温かくなりますよ。体感温度が2〜3度違うのじゃないかな

 当然、小学校1年坊主の頃から魚は大好き。ハゼ、キス、アナゴ、メゴチ、キンポの天麩羅や刺身。ボラはアライでと、まさしく「江戸前」の釣りたてを、お父さんの手料理で食べていた。


マムシも食べた疎開生活

 山本さんは、典型的な疎開世代。東京の山の手に住んでいた山本さんも、昭和19年、母方の実家がある島根県に、両親の元を離れ、一人で疎開することになった。お父さんは、「寂しくなったら釣りをやれ」東作の銘竿を二本、リュックの中に入れてくれたという。

山本さん: 「都会の子で、半ズボンに運動靴でしょ。地元の子にいじめられましてね。たった一人、趣味のあう子がいて、一緒に釣りをしたり、エノケンの映画の話をしたりして仲良しになれたんです。釣りがなかったら救われなかったでしょう」

 もちろん食べ物はろくにない。イモの葉を食ったり、トウモロコシの茎を齧ったり。近くに80歳ぐらいの下駄屋のお爺さんがいて、その人がマムシ獲りの名人として近在でも有名な人物。

山本さん:「獲ったマムシを『お前、腹ペコだろ』と食べさせてくれるのは良いのですが、ヘビを裂いて串に刺して焼いてくれるまでが気持ち悪くて。それでもお腹が空いているし、差し出されると食べちゃう。でも、これがけっこう旨いのです。月に1回位マムシを食べたお陰か、風邪もひかず、栄養失調にもならなかったのですネ」

 その下駄屋のお爺さんには、釣った魚を持っていったそうなので、いわば物々交換だ。他にもウサギやら、蜂の子やら、アケビの実やら、ヤマモモなど食べられるものならばとりあえずみんな口に入れた。
 そんな中、42歳で召集されたお父さんは、広島陸軍病院勤務中に被爆した。
 「チチキトクスグコイ」と電報があり、8月9日に叔母と一緒に病院に駆けつけた。全身どす黒く焼け爛れ、異臭を放って別途に横たわるこの人がお父さん、我が目を疑ったという。
 ある日、驚いたことに、激痛と闘い、医者として己の命のカウントダウンをしている最中に、釣りをして来い、とお父さんはすすめたという。


山本さん: 「病院のすぐ側を日野川の清流が瀬音を立てていました。父は、自分が少年時代に存分に楽しんだ魚との会話を、息子にも味あわせたかったのでしょうね」

 餌の採り方、仕掛けの作り方、瀬釣りのやり方など、細かく教えてくれたそうだ。一時間ほどかけてやっと釣り上げたウグイを見せたときの笑顔が今でもはっきりと瞼のそこに残っているという。

 山本文郎
(やまもと ふみお)
 1934年東京生まれ。1957年東京放送(TBS)入社後は、アナウンサー一筋でニュース番組、ワイドショウの司会として活躍し、その一方、『落語特選会』での劇作家・故 榎本滋民氏との渋い掛け合いで、趣味人の一面も見せる。
 TBS退社後の現在も『素顔が一番』(日本テレビ)の司会をこなすなど、精力的に活動している。

  山本さん: 「人間って、生きながらにしてウジ虫がわくということも知りました。夏の暑い盛りで、ハエを追っても何処かに卵を産むのですね。とくに耳の裏側、首筋にかけてひどかった。父は6日に被爆して、21日に亡くなりました」

 山本さんの波乱万丈の人生とは切っても切れない釣りだが、最近は、釣りと並ぶくらい集中している趣味がある。

山本さん: 「車です。何しろ57歳で車の免許とったくらいで、始めるのが遅かった分、今は夢中になっているのです」

 まだまだアナウンサーとして大活躍中の山本さんだが、もし引退したら、車に釣り道具とゴルフセットを積んで日本全国、北海道から九州、沖縄までドライブするのが夢だ。

山本さん: 「休暇村って、確か全国に36カ所あるのです。そこを転々として回ったら、きっと退屈しないで過ごせるでしょうね。あとは孫と一緒に遊んでいられればいい」

 力まず、急がす、テレビでの話し振りとまったく変わらない穏やかで温かい口調で、山本さんは御自分の将来を語ってくれた。
   (第5回 終わり)








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