本文へスキップ

暮らしに役立つおばあちゃんの知恵袋

TEL. 090-1211-0042

〒879-1505大分県速見郡日出町
川崎1612番地1

全国のおばあちゃんの知恵「懐かしい風景・なつかしい暮らしの知恵」

懐かしい風景と暮らしの知恵


最近はどこの町にも、コンビニやファーストフード店があり、同じような景色が多くなった分だけ、人の暮らしも均一になったような気がします。昔の「懐かしい景色」には不便さがたくさんありましたが、それを補う暮らしの知恵がたくさんありました。

懐かしい風景と暮らしの知恵
●田 園
田んぼの匂い
 近所に一ヵ所だけぽつりと田んぼがありました。表面だけがカラカラに乾いた肥壷があったり、牛を使って耕していたのを見た記憶があります。用水路では、よくドジョウやザリガニや亀を取って遊んだものでした。あぜ道や用水路の泥の独特の匂いは、なぜか今でも鮮明に記憶しています。(決して臭いのではありません。藁と粘土質の土が混じったような一種独特の懐かしい匂いです)(兵庫県・Y)


れんげ畑

 子供のころ、春先に田舎へお墓参りに行くと、お墓の周りにれんげ畑がありました。まるでじゅうたんをしきつめたようにすてきでした。子供たちはお参りもそこそこに、れんげ畑でころげまわって遊びました。田舎は栃木県宇都宮市雀宮です。(東京都・Y.Y)

●町
移動の食料品販売カー
 近所にスーパーがありませんでした。夕方、町のスーパーがパンなどの食品をバスに載せてやってきたのです。その時スピーカーでシャンソンが流れるので、その曲を聞いた周辺の主婦や子供が自然とバスに群がって来ました。(群馬県・K.T)


廃虚の銭湯

 近所に銭湯の壊れたあとがありました。銭湯画のところが崩れずに残っていたのです。夕日が当たる三保の松原の天女の絵は、小学生の僕を妙に興奮させました。(埼玉県・H.I)


建前

 家の建前の時、屋根に上った大工さんが、集まった近所の人たちにお餅を撒いていました。こんな光景はもう見かけられません。(静岡県・N.A)


廃品回収のおじさん

 新聞紙やくず鉄回収のおじさんが愛犬を連れて回ってくるのが、子供の頃楽しみでした。(東京都・N.N)

●空き地、小川など 
空き地
 家の近所にいくつも原っぱが残っていました。その中でいちばん広い空き地には柵があって、立ち入り禁止だったのですが、子供が入れる位の穴が開いていて、野球やバレーボールの試合を当り前のようにやっていました。たまに土地の持ち主に見つかると、すたこらさっさとみんなで逃げたものです。(東京都・R)


小川

 子供のころ、近所の小川で魚を釣ったり、ザリガニを取ったりしました。夜はカエルの大合唱が聞こえました。(東京都・I)


野草摘み

 子供のころ、近所に田んぼの跡地がありました。小さな川も流れていて、川辺の原っぱは野草の宝庫で、せり、つくし、のびるなどが生えていました。これらを摘んで、母におひたしなどを作ってもらいました。「どんなにおいしいものか」と、期待して食べたのですが、ちっともおいしくなかったのでがっかりしました。大人になって、「せりのおひたし」がむしょうに食べたくなることがあります。(東京都・K)

●お 寺
参道の露店
 近くのお寺の開山式で、参道に多くの店が出ていました。サーカスや見世物小屋もあり、動けないぐらいの人ごみでした。(千葉県・O.S)


お彼岸

 お彼岸になると、お寺の境内に露店がたくさん出ていました。植木屋さん、瀬戸物屋さん、サーカス、見世物小屋などが並んでいました。見世物小屋は怖くて、外からこわごわ見ていたものです。(静岡県・N.A)

●昔の山形
戦中や戦後間もないころの、山形の田舎の風景が懐かしく思い出されます。

・雪景色…その時分は、家と家の間隔も500メートルぐらいあり、雪が降ると道が分からなくなりました。危険ですから、他人の足跡を頼りに歩いたものです。


・雪踏み…当時はまだ馬ソリで荷物を運んでいました。今のように除雪する車がなく、雪が降ると家の前の道に出て、「雪踏み」をしました。「雪かき」ではなく、雪の量が多いので踏み固めるのです。


・雪がこい…昔は、防雪のために、生垣を家の周りに植えました。葦を使って、なるべく葉を取らずに利用しました。すきまがあると寒いのです。


・長い春が終わる…以前はとても雪が多かったように思います。冬が長く春が短いんです。土が恋しいんです。やっと春になると、山の南の斜面にほんの少し雪が溶けて、土の部分がありました。なずななどが生えていると、とても嬉しかったものです。でも、「ああ、春だ」と思っていると、すぐ夏。山形の夏は厳しいんですね。(山形県・N.K)

物売り
●四季折々の物売り
 四季折々のメニューで、テキ屋さんのような人が自転車の荷台に品物を載せて売りに来ました。焼きそば、上州名物の焼きまんじゅうなどです。珍しいのがトウガラシ売りです。自転車の荷台にいろいろなトウガラシを載せて売りに来ました。ポップな色の服が印象的でした。夏は氷屋や風鈴屋がやって来て、夏を実感しました。(群馬県・K.T)                      

●下町
 東京下町の東向島に行った時、他ではあまり見かけなくなったいろいろな屋台のおじさんがいて、驚きました。物売りの声も新鮮だったのです。友人の話によるとキビ団子、金魚と風鈴、焼いも、竹ざお、おでん、ラーメンなど、今でもいろいろ来るそうです。(東京都・Y)

●あさり売り
あさり売りのおばさんが、玄関先でむき身にしていました。そんな風景が懐かしい。(神奈川県・K.S)

懐かしいお店
●駄菓子屋
・子供のころ、目黒の平町に叔母が住んでいて、夏休みになると遊びに行きました。平町には駄菓子屋さんや貸し本屋さんがあって、ソースせんべいを買うことや、「墓場の鬼太郎」などの漫画を借りることがとても楽しみでした。(東京都・K)
                              
・子供のころ、百円玉を握りしめ、駄菓子屋でアレコレ迷っていました。懐かしい光景です。(東京都・I)

●よろず屋さんの電話
 家からちょっとだけ離れたところによろず屋さんがあり、駄菓子から日用品まで何でも置いていたようです。その当時は電話も普及率が低く、自分の家にもありませんでした。親は遠方の親戚に電話をかける時に、その店でその都度いくらか払って借りました。もちろんピンク電話ではなく、受話器の重い黒の加入電話です。(兵庫県・Y)

●買い物かご
 スーパーマーケットはなく、八百屋、肉屋、果物屋などの並んだ市場がありました。果物屋ではイチゴをスコップみたいなのですくって茶色い紙袋に入れてくれました。家に着くまでに外側のイチゴがつぶれ、袋にところどころシミができました。なぜかつぶれかかったイチゴの方が甘いのでした。当時お母さん連中は買い物かごを使っていました。(神奈川県・U.H)

●新聞紙の袋
 八百屋さんでは、買った野菜は新聞紙や広告のチラシで作った袋にざるから移し入れてくれたものです。お釣りは天井からゴムひもで吊るされたかごからもらうのでした。(東京・N.N)

●えびせんべい
 子供のころ、えびせんべいを売る店がありました。新聞紙で作った袋を持って、「くず、ちょうだい」と言って5円払うと、壊れたえびせんべいを袋いっぱいくれたのです。(静岡県・N.A)

●ポンポンせんべい
 ポンポンせんべいが懐かしいですね。お米を持っていくと、ポップコーンのようにしてくれたんです。(東京都・W.T)

春から夏へ
●春
代かき
 昔は、馬か牛で、田んぼの代かきをしました。馬などの口元を持つ男は「ほーら。はいよー」と声をかけていました。(山形県・N.K)
●晩春
鯉のぼり
 わが家の目の前には広い畑が広がっていました。そこの農家は4月の半ばごろになると、鯉のぼりを掲げるのです。その数が多い時で12匹もありました。風がある時は、その鯉のぼりはいい泳ぎっぷりなのです。ですが、風がない時はだらっと下がって、それは鯉というよりめざしのように見えました。(東京都・K)
●梅雨
水滴
 里芋畑の大きな傘のような葉っぱの上の直径1センチぐらいのころころした水滴。これは癒しの風景です。(埼玉県・H.I)

紫陽花
 梅雨の時期はうっとうしいものですが、子供のころは自分の家の庭にも近所にも、紫陽花がよく植わっておりました。なぜか紫陽花の葉っぱや茎に限って、よくカタツムリやアマガエルがのっていたのを、見た記憶があります。(兵庫県・Y)

お祭り
 お祭りでは、多くの露店が並んだのです。子供のころ、30銭ぐらいの小遣いを持って、饅頭やユベシ飴などを買いました。アセチレンの匂いが臭かったのを覚えています。(神奈川県・N.K)

●夏
夏の夜の虫
 夜、電気をつけていると、カブト虫が部屋に飛び込んできました。(東京都・I)

学校映画
 学校の中庭で、映画を観せてくれました。戦後すぐのころで、楽しみの少ない時代でした。(東京都・W.T)