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暮らしに役立つおばあちゃんの知恵袋

TEL. 090-1211-0042

〒879-1505大分県速見郡日出町
川崎1612番地1

著名人が語るおばあちゃんの知恵袋

知恵袋の会が藤村俊二さんに
 生前インタビューした記事です。
 
 第1回 藤村俊二さん
  「『タバコをやめろ』と
  お医者さまにいわれて、
  葉巻にしちゃった」

 藤村俊二さん

 藤村俊二・略歴
 1934年(昭和9年)生まれ。
 早大演劇科を中退し、
 日劇ダンシングチームへ。
 その後、振付師を経て、
 69年スタートの
 『巨泉・前武ゲバゲバ90分』などで
 タレ ン トとしてブレイク。
 もうすぐ70歳になる現在でも、
 テレビ、舞台などで大活躍。

 ■好きなように生きるのが健康法

 
 地下鉄銀座線の外苑前から
 ほど近くながら、
 大通りをはさんだ向かいには
 青山 墓地があり、
 しかもビルの地下にあるワインバー
 『O’hyoi’s(オヒョイ’ズ)』は、
 そのたたずまいからして、
 「大人の隠れ家」だ。
 本物のアイリッシュパブの店内には、
 ボルドーを中心に
 150種以上のワインが並ぶ。
 ワイン通なら知らぬ者はない
 この店のご主人が、
 またテレビや舞台などで
 知らぬ者もない藤村俊二さんなのだ。

 藤村さんのバー
 
 まだ昼間で開店していない
 店の片隅、ちょうど芝居の
 稽古の合間で半日だけ
 休みが取れた藤村さんのもとに、
 ほんの少しお邪魔することにした。
 
 「お忙しそうですね」
 そう切り出すとちょっとテレ臭そうに
 答える藤村さんだ。
 「なんだかね。
 ボクはそんなに働きたくないって
 いってるのにまわりが働け、
 働けっていって、
 疲れるったらないの」

 元来、遊び人を自認する
 藤村さんにとって、
 なぜか次々と仕事が
 こなし切れないほど
 舞い込んでくる現状は、
 あまり歓迎すべきことでは
 ないのかもしれない。
 しかも、お若く見えても
 来年で古希。ここ10数年で
 3度も大きな手術を体験している。
 50代で胃がんにもなり、
 肺気胸で片肺も取り、
 数年前には大動脈瘤で
 人工血管をつけた。
 本人いわく
 「体、ガタガタ」なのだ。

 だったらよほど健康には
 気を使っているのかと思いきや、
 これがそうではないところが
 いかにも藤村さんらしい。

 「前に医者に
 『タバコやめなさい』っていわれて、
 ボク、こう答えたの。
 『はい、タバコやめて、
 葉巻に替えます』。
 健康にいいことやって、
 死なないって保証はないでしょ?
 
 他の人にとって健康にいいことが、
 ボクにもいいとは限らない。
 余分なストレスがたまるくらいなら、
 やりたいようにやってる方がいい」

 

 ガンを宣告された時でも、
 平然と病院を抜け出して
 アワビやうなぎを
 食べに行ったそうだ。 理由は
 「だって食べたかったんだもん。
 病院の食事っておいしくないで しょ」
 「ボクの友人で、ガンなのに
 焼肉食って医者に怒られたヤツがいた。
 でも、そいつにとっては
 焼肉こそ最高のスタミナ源で、
 ガンと闘うには焼肉くらい
 食わなきゃ生きる気が
 しなかったのかもしれない。
 身体にいいと思ったら、
 食べた方がいいの」
 
 もししいて自分の健康法は何か、
 と聞かれたら
 「自分のやりたいように
 生きてること」と断言する藤村さん。
 
 「競馬だって一生懸命考えて
 外れるより、何も考えないで
 当たる方がいいじゃない。
 どうしたら健康でいられるか、
 なんて考えてるより、
 健康のことなんて気にしないで
 やりたいことやってた方がいい」

 ■風邪の時にはアワビのお粥

 その言葉通り、
 自由奔放に生きてきた
 藤村さんだが、
 父親が 有楽町・スバル座の
 社長さんだったほどの
 ハイソサエティの出。
 だから、両親のしつけは
 キチンと受けて育った。

 「顔を洗った時に
 水のシブキが飛んだら、
 ちゃんとそこを拭きなさいとか、
 履物は決して
 脱ぎっぱなしにするなとか、
 人として守るべき基本的なことは、
 子供の頃にしっかりと
 叩きこまれた」と振り返る。

 ただし、しつけはされても、
 欲しい物は欲しい、
 やりたいことはやる、
 という性分は直せない。
 兄とオモチャの取り合いで
 ケンカに なったりすると、
 泣くどころで はない。
 手に入らないとなると、
 ヒキツケ起こして
 失神するほどのすさまじさだった。
  で、そんな時に
 俊二少年を介抱してくれたのが
 おばあちゃんだ。
 春先に芽を出す、
 フキをやや小型にしたような
 ユキノシタという植物を
 すりつぶし、倒れた彼に
 飲ませてやる。
 すると俊二少年は、
 何事もなかったかのように
 またすっくと立ちあがったという。

  

 体にいい食べ物でいえば、
 藤村さんは風邪をひいた時などに
 お母さんが作ってくれた 、
 アワビのお粥も忘れられないとか。

 「アワビとショウガの刻んだのと、
 ネギの刻んだのが入ってるお粥でね。
 中華でもアワビ粥は医食同源の中にも
 入ってるくらいだから、
 きっと消化もよくて
 滋養にもいいんでしょう。
 それを母親は必ず作ってくれた」
 つまり、藤村さんにとって、
 アワビは「おふくろの味」でもある。
 ガンになった時にも
 あえてアワビを食べたのは
 当たり前なのだ。

 「風邪をひいたら
 トウガラシで湿布 をしろ、とか、
 梅干は熱を取るから
 バンソウコウでとめてコメカミに貼れ、
 なんてのも確かおばあちゃんに
 教えてもらった気がする。
 でも実際にやった記憶はないなァ。
 思い出はやっぱりアワビのお粥」

 

 藤村さんは言う。
 「結局、昔は子供を
 健やかに成長させるための
 いろんなことを、
 おばあさんはお母さんに、
 お母さんは娘にと、
 女の人たちは
 伝承 してきたんだと思うな。
 それが、今、途絶えてる。
 スナック菓子や
 インスタントのものを食べている
 子供が多いでしょ。
 やっぱり母親が
 もっとしっかりしなきゃ」
 チラリと戦中派の気骨を
 にじませる藤村さんだが、
 これからの人生をどう生きるつもりか、
 との質問に対しては、
 また、いかにも藤村さんらしい
 答えが返ってきた。

 「よく年寄りの中には、
 また若い頃に戻りたい、
 なんて言ってる人がいるでしょ。
 ボクはまったく逆。
 もう十分に若者はやっちゃったし、
 今さらもう一回やり直すのも
 面倒なの。 それより、
 ボクはまだ70歳は
 一度もやってないんで、
 『70の自分』は未知の領域。
 その時どうなってるか
 予想もできないから、
 ずっとワクワクして楽しみに
 して待ってる。
 ボクは年を取るたびに、
 これから先はどうなるんだろう、
 って楽しん じゃう」

 オモチャの取り合いで
 失神した昔と変わらず、
 楽しむことに関しては
 どこまでも貪欲な人なのだ。
 (第1回終わり)