本文へスキップ

暮らしに役立つおばあちゃんの知恵袋

TEL. 090-1211-0042

〒879-1505大分県速見郡日出町
川崎1612番地1

著名人が語るおばあちゃんの知恵袋

第3回 松平直樹さん
「おふくろが作ってくれた
 ニボシのみそ汁のお陰で、
今でも全部、歯は自前です」


 松平直樹さん

■ フィットネスクラブが健康のもと

 マヒナ・スターズのヴォーカルとして、まだ月に10日前後はディナーショーなどの 仕事があるという松平さんは、とても今年70歳とは思えないほどのハードな一日を送っている。 まず、マヒナのスケジュールが入る日も入らない日も、とにかく東上線・志木駅前 で経営するお店『ムードサロン直樹』に顔を出す。店の営業時間は午後9時から明け 方5時なので、どうしても昼と夜が逆にならざるを得ない。
 それで寝るのが朝7時。午後1時には起きて何と、フィットネスクラブで2時間 ほど汗を流すのだという。

松平さん: 「電動ランニングマシンを使って、1キロ10分くらいののんびりしたペースで、まず30分くらい走ります。ウェイトトレーニングも、負荷をうんと下げてゆっくり10回づつくらい。最後はサウナですっきりです」

昼からマヒナの活動がない日はほぼ毎日やる。これが最大の健康法だという。

松平さん: 「でもね、この年になれば、あちこち問題は起きますから、健康食品はいろいろ使ってますよ。お店にも、馴染みのお客さんがいろいろ持ってきてくれるんですよ」

 『ムードサロン直樹』の常連客の多くは、若い頃からのマヒナ・ファン。つまり中高年の女性が主だから、健康情報も詳しい。4〜5年前、松平さんが「ちょっと血糖値が高くなった」といった途端、常連客のひとりがウコッケイのたまごとリンゴ酢を「これがいいわよ」と持ってきてくれた。沖縄のゴーヤーの丸薬を持ってきて勧めてくれたのもお客さんだ。お陰で、220くらいあった血糖値も、最近は120くらいで落ち着いているとか。

  松平さんのお店の前で

松平さん: 「あと、病気といえば、30年くらい前にC型肝炎になりました。当時は、サウナでもカミソリが使い捨てじゃなかったんで、あれでうつったんでしょうかね。20年くらい前には、飲み過ぎで慢性肝炎の一歩手前まで行きました。お医者さんの治療や、強力ミノファーゲンという薬を使って、どちらも治りましたけど」

 高血圧はないが、痛風はしばしば出るという。

松平さん: 「ビール、もつ、サウナ、痛風に悪いものはみんな好きなんでね。でも、予防は何も やっていません。『もうすぐ痛むな』と思うと、痛み止めを病院でもらうだけです」

 すぐ太る体質なので、ご飯や小麦などの炭水化物類はほとんどとらず、食事はもっぱら野菜や魚、肉が中心。それがクセになってしまって、たまにご飯を食べても、お茶碗半分も食べられない。

松平さん: 「食べ物でいえば、ボクはおふくろには感謝してます。子供の頃から、ずっとニボシのみそ汁を毎朝作ってくれたんですよ。カルシウム満点でしょ。ニボシのお陰で、40年も歯の治療に行ってないし、今でも全部、自分の歯なんです。歌い手にとって、はっきりした発音は命ですからね。ニボシはよかった」

 どうやら、松平さんがお母さんから伝えられた最大の健康法は、このニボシのみそ汁だったようだ。

■ニンニクをかじった疎開時代

松平さんが生まれたのは新宿百人町。しかし、昭和20年の空襲で家が焼けて、3月に個人的な縁故疎開で行ったのは岩手の黒沢尻だった。

松平さん: 「4月まで雪が積もっていたような所で、寒かったですよ。ただ風邪をひいた記憶がありません。これもニボシのお陰ですかね」

 主食はご多分に漏れず、サツマイモだ。「あの時にサツマイモは一生分食べたから、もういらない」と松平さん。今でもジャガイモは好きでよく食べるが、決してサツマイモには手をつけない。
 川のすぐそばに生えていたタンポポのような草もよく摘んで食べたという。

松平さん: 「みんなが食べていたんで、ボクも食べてみたんです。ちょっと酸っぱい味がして、何という名前の草なのかはいまだにぜんぜんわかりません」

 振り返って、体によかったのかな、と思えるのはニンニクだった。岩手はニンニクが名産で、地元の子供たちはナマのニンニクにみそをつけて食べる。それが寒さよけになるのか、みんな冬でもシャツ一枚で走り回っていた。
 ニンニクを見たのは初めてで、最初はクサくてイヤだった松平さんも、環境に慣れるに従って、平気でかじれるようになっていく。

松平さん: 「けっこうおいしいんですが、今度は食べ過ぎて胃を悪くしたりしてました」

 さすがに今はナマのニンニクをかじったりはしないが肉を炒めたりするときには、よくニンニクを使う。タカのツメ、トウガラシなど、刺激のある調味料も好きだとか。発汗作用もあり、体にもいい。  
 
松平さん: 「でも、健康を維持できる一番の方法は、やはり仕事でしょう。サラリーマンの方でもリタイアした途端に体が弱くなったりするじゃないですか」

 松平さんにとっては、ショーで歌うのも、お店でいろいろな人と会話を交わすのも、仕事であると同時に、どちらも健康のためには欠かせない活動だ。だからこそ、いつまでも声が出続けられるように毎日鍛えている。

松平さん: 「発声練習はだいたい車の中でやります。一日30分から一時間くらいかな。さすがに外では発声はできないですし。CDを入れて、たとえばトリオ・ロス・パンチョスの出してる高い声に合わせて、声を出してみたりするんです。これができていれば、まだ現役でいられるな、と」

 だから、声が出る今のうちは、「引退」の言葉は頭にはない。しかし、こうもいう。

松平さん: 「歌い手で80歳まではどうですかね。きっといつか、出るはずの声が出なくなる時がくる。その時は、潔く現役を退くしかありません」

  「その時」が少しでも遅くなることを祈ろう。

           (第3回 終わり)

  松平直樹さん (まつだいらなおき)

 昭和9年東京生まれ。和田弘とマヒナスターズのヴォーカルとして、第二回レコード大賞受賞曲「誰よりも君を愛す」をはじめ、「お座敷小唄」「愛して愛して愛しちゃったのよ」などの大ヒット曲を連発。その後、自らリーダーとなって松平直樹とブルーロマンを結成し、「幸せになってね」などをヒットさせる。現在は昔のメンバーに新メンバーも加え、ザ・マヒナスターズを結成して活動をしている。