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暮らしに役立つおばあちゃんの知恵袋

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著名人が語るおばあちゃんの知恵袋

(第13回)車だん吉さん


「くよくよ考えてたら疲れちゃう。悩みは、どっかにお任せしちゃえばいいんですよ!」

車だん吉さん
車だん吉さん
■いろんな出会いがあるからこそ

 車だん吉さんというと、20年近く続いた人気テレビ番組「お笑いマンガ道場」で、プロ顔負けの漫画を披露していた姿を思い出す方も多いはずです。また、今年で14年目になる長寿番組「ぶらり途中下車の旅」には、「旅人」としてこれまで50回以上も出演しています。
 この番組には、週替わりで芸能人が旅人として出演。主に関東地方の電車に乗り、気ままな旅をします。

「旅は、人との出会い次第ですね。どんなに景色がよくても、食べ物がおいしくても、出会った人によっては、印象が悪くなってしまいますから。逆に、温かく迎えられたり、よいつながりが生まれたりすると『あそこは良かった』となる。人と話をするのは勉強になるというか…、そう、『好き』と言った方がいいね。とにかく出演していて楽しい番組なんです」

 ただ「ぶらり旅」とはいっても、番組制作の都合上、ある程度の台本は用意されているため、「自分が面白そうだと感じたところで話を聞いてみたい」と思うこともあるそうです。その思いを実現するため、数年前、車さんはテレビ番組とは別に京成線沿線を旅して、その様子を本(注1)にまとめました。

「ぶらりと立ち寄った先には、私のことを知らない人もいてね(笑)。でも事情を説明して、『何を作ってるんですか?』『何がおいしいですか?』と質問すると、みなさん親切に教えてくれますよ。やはり、人と人ですからね。話をしたのにわかってもらえない。そんなことは、なかったですね」

 車さんの印象に残るのが、コーヒー販売店の店主、木村さんとの出会いです。「納得できない商品は販売できないから」と、日に最低4杯はコーヒーを飲むという木村さん。そのため、病院で医師から「コーヒーの匂いがしますね」と言われたこともある人です。

「木村さんが『自分が火葬場で燃やされた時に、コーヒーの匂いがすれば最高ですね』と一言。コーヒー一筋の人生もいいなと思いました。  私はこういう仕事をしてますが、もともと出不精なんです。だから仕事であちこち歩けるのは、ありがたいですね。外に出ないと、木村さんみたいにいろんな人生を送ってきた人と出会えませんから」


■悩みは、何かにお任せしちゃえ!

 ぶらり旅で、これまでたくさんの人に出会ってきた車さん。高齢にもかかわらず元気な人に共通する特徴を教えてもらいました。

「現役で働いている人が多いね。そうでなくても、趣味に夢中になっているとかね。とにかく何かをやっている人が元気だよ。それから、ストレスをためない。くよくよしないことですね。歳をとると、どこかしら悪いところがあるから、なかなか難しいけれどね。
 でも、どうがんばっても不老不死というわけにはいきませんから。どこかで、受け入れなきゃなんないんでねぇ。せめて生あるうちは、あまり気にしないで、のんびり暮らすのがいいんじゃないかな。実際『なんで、そんなに元気なの?』と質問すると、『のんきだからよ』『考えても、しょうがないじゃない』とかさ。そういう人は元気ですね」


 実は、車さん自身も血糖値がかなり高めなのだそうです。そんなご自身の体調のことも、あまり気にしていないのでしょうか?

「定期的に検査に通っている病院の先生が熱心に指導して下さるから、食事や運動には気をつけていますよ。数値が悪くなって、あれこれ言われたくないからね(笑)。
 でも、量は決めているけど、焼酎をほとんど毎日飲むし、ごく普通に暮らしている感じです。もっとも悪くなったら、どこかで対処するでしょうけどね。今からその時のことを考えて、くよくよしてもしょうがないじゃないですか」


 車さんは「世の中には、悩みが1つもない人なんていないと思う」とも話してくれました。はたから見たら絵に描いたような幸せな家庭でも、実際には深い悩みがあるかもしれないのです。

「誰にでも悩みはあるんだから、くよくよ考えていたら疲れちゃう。だから、どっかにお任せしちゃえばいいんですよ。『○○という悩みがあるのでお願いします』ってね。お任せする相手は特別な個人ではなくて、『これだ』と思う、有形無形の何ものかでいいんじゃないかな」



■すべてが「成り行き」だった?

 芸能界に入った当時、車さんはコント55号の弟分として「コント0番地」で活躍していました。舞台で観客をわかせ、ファンから花束や手紙をもらうこともありました。

「でも、人気が出たのはコント55号のおかげで、自分たちの実力ではないとわかっていました。それでも、テレビや舞台で演じているうちに、実際に実力が身につけばよかったんですけれどねぇ。
  大将(萩本欽一さん)からは、『だん吉、山の頂上に立つと、下からじゃ見えないものが見えるんだよ』と言われたこともありましたよ。でも、自分にはとても頂上は無理だと思っていました。それは『諦め』とはちょっと違うんです。山に登っているのは自分でしょう。その自分のことが一番よくわかるのは、自分自身だからね」


 その後、車さんが全国的に有名になるきっかけになった「お笑いマンガ道場」、そして「ぶらり途中下車の旅」に出演するようになったのも、知り合いのスタッフから声がかかったからでした。

車だん吉さん
[略歴]

 1943年東京生まれ。コント55号の弟分として「コント0番地」で活躍。その後、テレビ番組「お笑いマンガ道場」で見事な漫画を披露。共演者だった鈴木義司氏、富永一朗氏の推薦を受け日本漫画家協会の会員となった。〔テレビ〕NHK教育「ピタゴラスイッチ」、NTV「ぶらり途中下車の旅」、〔舞台〕「母に捧げるラストバラード」(6月明治座)(9月博多座)と多方面に活躍。

「いくら、こちらから『番組に出して下さい』と頼んでも無理ですから。流れに逆らっても、何にもならないでしょう。これまでの人生を振り返ってみると、ほとんどすべて『成り行き』ですね。
  よく『ずいぶん苦労があったでしょう?』と質問されるんですが、成り行きですから、苦労なんてないですよ。もう少しお金が欲しいと思うことはありますけどね(笑)」


 車さんのお話を聴いていると、こちらの肩の力まで抜けてくるような感覚でした。ゆったりと自分のペースで生きてきた車さん。がむしゃらに頂上を目指すのでなく、自らが歩む道のりを楽しんでいらっしゃるように感じました。

(第13回 車だん吉さん インタビュー 終わり)